いままでとこれから

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私のいままで ~何でも話せる師匠~

こんにちは。

chichi(チチ)です。

 

私の音楽人生の振り返り 

と言っても、大したものではございませんよ。

  1. いつから苦しくなった? 
  2. 何でも話せる師匠の存在
  3. 金銭的な事
  4. 勉強不足

 

の中から、今回はコレ!

2.何でも話せる師匠の存在

私は 習い始めから大学生まで 3人の先生から音楽を教えて頂きました。

と言っても、記憶にあるのが3人の先生です。

一番最初

ピアノを習いたくて 母が連れて行ってくれたのが

有名な ヤ〇ハ 音楽教室です。

私は4歳で 周りの子もそのくらい。

たぶん4.5歳のクラス でグループレッスン。

まず、その教室にあったのが ピアノじゃなかった(泣)

っていうのもあったけど クラスがとても テンションが高くて

みんな ガチャガチャ カスタネットやらタンバリンやら

鳴らしてて あの 雰囲気が私は無理だった(泣)

でもね、周りの子はすっごい楽しそうにしてるの。

私だけ参加してなくて

みんなと同じようにできないから 

先生からしたら ダメな子ねって感じ

 

3か月位通ったようですね。

あまり覚えていない・・・

その先生が初めての先生だけど

顔も名前も覚えていません、ごめんなさい。

 

ピアノが弾けるようになりたいけど

アソコには もう行きたくない ということで

母が探してくれたのが近所のピアノの先生

 

4歳だったけど その先生が本当に神様みたいにみえたよ。

私が知りたかったことを 1番最初のレッスンで教えてくれた

《どうやって ピアノの音を出すか》

ってこと。

ガチャガチャ から抜け出せたよね

 

そこから 15歳まで 通いました。

6歳で 先生のお家まで30分以上かかるところに引っ越しをしたけど

母は毎週毎週レッスンに連れて行ってくれた

感謝です。

 

先生のレッスンは楽しかったんだけど

とにかく 私、音符を読むのが遅くて

 

クラシックはさ 耳コピしていいものじゃないから

楽譜に書かれている音を弾くよね

音符読めなきゃ 話にならんよね

で母にしごかれた。

私 頭が悪かったんだな(笑)

出来の悪い子を持つ親は 大変だっただろうにと

当時の事母に聞いてみたら

《底抜けのあほ》

だったということです。

でも、ピアノだけは一生懸命やってたから

と勉強はそこそこで良いから ピアノをやりなさい

という気持ちだったとか。

 

先生は 時々クラシックのコンサートに連れて行ってくれて

たくさん 生演奏を聴く機会を作ってくれた。

舞台の光景は今でも 覚えている

あまり ハノンとかツェルニーをやった覚えはないのだけど

楽譜を見ると 何やらメモがたくさん書いてあるので

それなりに やってたみたいだね

 

先生のレッスンでは

合格になった曲でも 忘れずに練習しておかなきゃいけないのに

私はそれをやっていなくて・・・

1冊終わるタイミングで くじ引きして 出た曲を弾くのだけど

1曲も弾けず

弾けない私の姿は 親からしたら冷や汗モノだったんじゃないかな

その日以来 多少しごかれましたよね 母に

次の楽譜を貰うどころか、

また最初からその楽譜を練習したなぁ~1冊!

だけど、この練習は私に自信をつけてくれました。

レパートリーが大量に増えた事で さらにピアノが楽しくなり

ウハウハの毎日でしたね

 

中学生になると

頭が悪い私は 勉強に時間を取られつつも

一生懸命 音大に行きたくて練習していました。

ベートーベンのソナタ「熱情」

とかを練習していたんですよ

今振り返っても よく あのような大曲を

練習してたなと思います

第1楽章 好きでした!

中学3年生の秋頃から

東京の先生にレッスンをして頂くようになって

その先生が2人目の師匠

のちに 高校でもお世話になる先生です

 

私の住んでいる所は割と田舎です

中学って その当時絶対部活に入らないといけなくて

でも私は ピアノのレッスン、ソルフェージュなどに

通っていたので 部活動に参加で出来る状態じゃ無かったんですよね

帰宅部がなくて

で、話が分かる人に相談しようと思って 音楽の先生に相談したのですが・・・

そこで度肝を抜かれることに・・・

「あなたが どれくらいの実力かは知らんけど

合唱の伴奏で 上手いと思ったこともないし

第一 音大に行って 何になるつもり?

ピアニストにでもなるの?」

「部活に入らないという選択はできないから

とりあえず籍を置く部活を決めなさい」

 

って言われたときはビックリ というか

言葉も出ず その時私の中学生活はヤバいものになると確信

 

なんで、そんな言い方するんだろう???

なんかイライラしてたのかなぁ~とか思ったけど

その音楽の先生 音大の作曲科を出ているんだよね

相談できる学校の先生はいませんでした 

居心地の悪い所でした

 

かと言って運動部は無理だし・・・

ということで、

その音楽の先生が顧問の吹奏楽部に在籍。

楽器はフルート

ほとんど部活には行ってなかったから

先輩からの目線は厳しかったけど

フルートの先輩が何故かとてもやさしくて

ピアノ頑張ってねって応援してくれて

あの笑顔と眼差しは一生忘れません

 

中学3年になっていよいよ 音高受験するぞってなっても

担任の先生が なかなか書類を書いてくれなかったようで

私はあまり覚えていないけど

三者面談で とにかく推薦くださーい

ってお願いして やっとこさ

推薦もらって 音高受験したと記憶してますが・・・

実技と聴音 小論文 面接

をやった記憶はある

「一般だと 英語やら国語数学の試験もあるから無理だな。

推薦で合格しろよ」

ってなことを父親から言われたな!

無事合格して

中学校に行ったとき 校長先生やら担任の先生から褒められて

大人ってコワー

って鳥肌たったのは今でも鮮明に覚えてるよ

だって、音高受験するときも

落ちるから 滑り止めでコノ高校も受けときなさい

とか担任の先生から言われて 書類書かされたし

もちろん 滑り止めを考えておくことは必要かと思うけど。

だから、言い方 ひどくない?

 

晴れて音高生になりました

ピアノが上手な子がたくさんいて キャラが濃ゆい

最初は 異次元な所に来ちゃった

とか思ったけど ほどなく 心地よく感じるようになりました

みんな楽器を演奏するから話が楽しい

話が通じるっていいね

課題に追われる日々だったけど

先生から学んだことはたくさんあるよ

ピアニストとして活動されている先生方も多くて

先生は本番前に

私たち門下生の前で演奏して

「どうだった?」

って聞くんだよ それは衝撃的なことでした

音楽に携わるモノ同士 なんていったらおこがましいのですが

 

生徒に 意見聞いたりするんだなって

 

上から何か言われたことは無くて

音楽の話を沢山した

そのころ まだ弾きたいように弾いてた時期で

「まだまだお子様ですな」

って言われてたな

私はそれが嫌で 時々反攻してたけど

怒られたこと1回もなかった

「高校や大学で学ぶものなんて微々たるもの。

そのあとだよ」

って。

 

大学での先生は ちょこっとヒステリックなところがあって

生まれてはじめて レッスンで手を叩かれた

私 相当ダメダメだったんだろうね

先日 実家のお掃除してたら成績表が出てきて

それは高校の時のものだけど、

実技 4⁺ って書いてあったんだけど

今更ですけど プラスって何だろうね???

頑張ってもそれくらい。

レッスンは毎回冷や汗だったな。

大学の先生とは卒業と同時に縁が切れてしまった

 

小さい頃に習っていた先生は もう教室は閉めていて

充実した老後を過ごしているとのこと。

時々 私が演奏会に出るときは聴きに来てくれる

 

高校の先生は時々 LINEで連絡を取りつつ

なかなかレッスンに行けないけど

新幹線使って4.5時間はかかるんだな

子育ても少しずつ落ち着いてきたし

そろそろ またレッスンに行きたいな

音楽の話をしたい

 

大学の先生は 

2年位前に インスタで見つけて

なんか とりあえずお元気そうで何よりです!

 

私が自宅でピアノ教室をやるようになって

地元の先生方とお話しする機会が増えて

色々経験するうちに 居心地の良い場所を見つけました

ピアノの先生をしつつ皆さん演奏家としても

勉強されています。

 

大学を卒業したころは 

あぁ~私の音楽する場所はもうなくなっちゃったんだなって

思ってたけど 

しがみついていたら 演奏する機会がきたよ

 

捨てる神あれば拾う神あり

 

っていうところですかね

私がピアノの先生をするようになったときに

知り合った先生が

私のことを気にかけてくれて

レッスンしてくれるようになりました

 

学生の頃よりも たくさん音楽の話をしています

ピアノを弾く時間は少なくなっているし

技術も衰えてきているんじゃないかって多々思うけど

心はとても 充実している

30歳を超えたあたりで

やっと どうやって体を使ったらいいだとか

楽譜を読むだとか

主張したい事とか・・・

整理して それが演奏で少しずつ出来るようになってきたと感じている

いままでの凝り固まった考えなどが

ほぐされて 心で音楽を楽しむことができている

 

頭が整理されていないと 分からないところがあっても

何がどう分からないか が分からなくて 何をどう質問したらいいか

分からないってことは無かったですか???

私は 《底抜けのあほ》だったので

よくありました

 

それが 今では分かるようになってきて

本当に知りたいことを質問できるようになったので

ストレスも減って 

そりゃ 今でも曲と向き合ってたら 苦悩することもあるけど

昔みたいに 病むことは無くなったよ

それは 話を聞いてくれる人がいる っていう

安心感があるのだと思う

 

話ができる人が もしかして 学生時代から近くにいたのかも

しれないけど

その縁を つなぐことはその当時の私にはできなかったんだね

 

こうやって 巡り巡って ご縁があって

私がわたしでいられるようにしてくれた

そんな人たちを大切にしたいと思う